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こんな考え方があったのか!と目から鱗が落ちた思いがしたのは時代小説の大家・司馬 遼太郎氏のあるエッセイを読んだ時のことです。

戦国時代の三英傑・織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が何故に天下を取れたか、もし現代に生きていたら…という内容でした。

彼らの共通点は生まれが同じ地域だったことで、信長と秀吉は尾張国、家康は三河国(どちらも現在の愛知県)でした。

その当時、京都を制した者が、天下を制したといっても過言ではなく、日本中の戦国大名たちが目指したゴール地点でもあったのです。

この三人は、そのゴール地点に近かったからこそ、天下最強と言われつつも地理的な条件から、京都を手にすることができなかった武田信玄、上杉謙信を退けて、優位に立てたというのが一つ、そして、もう一つは信長と秀吉には当時としては珍しいほどに経済感覚があったことでした。

信長が手に入れた領国は尾張、美濃(現在の岐阜県)、伊勢(現在の三重県)、近江(現在の滋賀県)など、お米の収穫率が高いところばかりでした。当時はお米がお金の役割を果たしていたこともあって、あっという間に五万人の兵士の動員が可能でした。

さらに金銭の流れにも力を入れて、有名な楽市楽座などでお金を貯めていったのです。お金を大切にしていた証拠に織田家の旗には永楽銭が描かれていますね。

信長の家来だった秀吉はその経済政策を引き継いだのですが、幸運が彼の味方をします。佐渡金山の鉱脈が発見されたのです。そこで採掘された金の量は世界でも類を見ないほどのゴールドラッシュだったそうです。

前の二人に比べて、経済観念は乏しかった家康が最終的に天下を取るのですが、彼には長年、積み重ねてきた信頼と実績、忍耐力がずば抜けて凄かったといえるでしょう。

もし、そんな三人が現代に生きていたら、どうだったのでしょうか?

信長は中世の秩序、常識、思考をすべて(良い意味で)破壊した人物なので、大学も中退し、前衛芸術家になっていただろう。

秀吉は商売が上手いのでお金を沢山貯めて、人たらしと言われた天才的な人心収穫術で政治家になっただろう。

家康は律儀な性格から、これまた律儀に勉強をし、律儀に東京大学を出て、律儀に官僚になっただろうと…確かそんな内容でした。

ぜひ、皆さんもレンタルのiPadで電子書籍を読まれてみてはいかがでしょう?きっと素敵な出逢いに巡り逢えることでしょう。

ぜひ、ご検討のほど、宜しくお願いいたします。

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