いよいよ年末の足音が聞こえ始めたように思えます。
布団は掛布団を温かくするよりも敷布団を温かくする、つまり床から冷えてくるとのことから、極力、敷布団の上には毛布のような保温性のありそうな寝具を敷くという方もいらっしゃるようでございます。
購入するよりも安価なレンタルタブレットやレンタルiPadで読む、電子書籍をおすすめ致したく、10月頃から続けてまいりました、この関ヶ原に関する記述も今回で最後となります。
少しでも書籍に親しみを感じて頂けたら幸いでございます。
お話は関ヶ原に戻ります。
西軍に押され気味の東軍・総大将である徳川 家康は、他の諸将同様に寝返りの使者を小早川 秀秋にも送っていましたが、一向に寝返る動きを見せないことに苛立っていました。
西軍の実質上の総大将である石田 三成も、味方であるはずの秀秋が動かないことに、動揺を隠せずにいました。
何度も使者を秀秋が陣を構える松尾山に送り、出陣を促していました。秀秋は双方の総大将が提示する褒賞に迷いがあったともいわれています。
しかし、一刻を争う戦場で、そのような迷いは許されるものではありません。
その時、松尾山に数発の銃声が響き渡ります。
家康の陣から放たれた銃声で、その銃声は“早く寝返れ”と告げていたのです。
ここに、家康の巧みな駆け引きがあり、相手を見て、どういう手段を使えば、相手を震え上がらせることができるか、などは手に取るように分かっていたのでしょう。それだけ、時が彼を百戦錬磨の名将に仕立てていたのです。
後に江戸幕府を作り上げた家康ですが、彼がこの銃声で豊臣の天下を覆したように、その数百年後に、浦賀沖に現れたペリー提督率いる艦隊に数発の砲声で、徳川の天下を覆されることになるとは、思ってもみなかったことでしょう。
この銃声で、完全に家康を怒らせたと怯えた秀秋は一万五千の兵を松尾山から“敵軍”に突入させます。
その敵軍とは、秀秋の挙動が怪しいとして、もしもの時のために抑えに控えていた大谷 吉継だったのです。
大谷隊に突入した小早川軍を見て、他の西軍の数隊も寝返ります。ここに、西軍は一挙に崩壊します。
三成やキリシタン大名として名高い小西 行長、宇喜多 秀家などは再起をかけて、戦場を逃れました。
戦いは、その日の朝に始まり、夕方に終わったのでした。
というように関ヶ原の戦いは日本中を巻き込んで、繰り広げられた合戦だったのです。
先述のように東北には伊達 政宗や上杉 景勝による心理戦が展開し、信州では西軍に付いた真田軍の挑発に乗った後の二代将軍・徳川 秀忠率いる別働軍による第二次上田合戦、九州では、黒田 官兵衛の名で知られる天下一の軍師・黒田如水による隙あらば、天下を狙おうとする匂いが強い九州統一戦と、様々な戦いがありました。
ここには、列挙しきれないほどに思惑が錯綜しています。電子書籍で様々な歴史に触れて頂けましたら、幸いでございます。
ぜひ、レンタルのご検討、宜しくお願い致します。