時は元禄十五年、師走半ばの十四日。
大江戸八百八町、涙が降らせた無念の雪か。
目指すは本所・松坂町。
鳴るは山鹿流陣太鼓。
主君の無念を晴らすべく立ち上がるは、赤穂四十七士。
城代家老・大石 内蔵助を筆頭に…
と始まる忠臣蔵の物語でございますが、もうそろそろ、その季節が近づこうとしています。
忠臣蔵と申せば、年末の風物詩として、欠かせないものの一つに挙げられるのではないでしょうか?
その中でも、一際、有名なのが「喧嘩安兵衛」こと堀部 安兵衛でございます。
彼は元禄時代という華やかな時代に二度もその名を轟かせることになります。
元々は、中山という家に産まれ、父の代で、浪々の日々を送り、成人してからは直心影流の流れを汲む堀内流の免許皆伝を受け、師範代として生計を立てていたそうでございます。
そんなある日、同じ道場で甥・叔父の契りを交わした人物が果し合いをするという報せを安兵衛は受けます。
相手は多勢に無勢を狙って、一人を相手に数人の助太刀を用意していることを知った安兵衛は憤慨し、義叔父のために立ち上がります。
それが世にも有名な「高田馬場の決闘」でございます。
この助太刀で、一躍有名になった安兵衛は、さる小藩から召し抱えの話を受けます。
それが播州・赤穂五万石、浅野家でございました。
そこで、堀部 弥兵衛の婿養子になった安兵衛は、中山 安兵衛から堀部 安兵衛に名を変えたのでございます。
その後、またしても安兵衛を苦難が襲います。
主君である浅野 内匠頭が、殿中松の廊下において、高家筆頭・吉良 上野介に対し、刃傷に及んだのでございます。
これを知った、五代将軍・徳川 綱吉の怒りは凄まじく、内匠頭には即日・切腹、領地没収が言い渡されます。
これに対して、主君亡き後の最高責任者である大石 内蔵助は、安兵衛を含めた四十七人の同志と共に、吉良邸に討ち入りに及んだのでございます。
これが世にも有名な「赤穂事件」で、忠臣蔵のモチーフとなった一大事件でした。
忠臣蔵はその後、様々な人々の手によって、歌舞伎・講釈・落語・映画・ドラマ・小説と展開していきました。
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