数字はいつでもどこでも…

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現在、我々が広く一般に使用している1、2、3、4…などの数字はアラビア数字と呼ばれています。

元々はインドが起源だそうですが、アラビアに伝わり、そこからヨーロッパに伝わり、そこでアラビア文字と命名されたため、アラビア文字というのだそうでございます。

以来、日本でも江戸時代に伝わり、その後は漢数字とアラビア文字が併用されるようになりました。

数字と言えば、戦国時代などの戦乱期は兵士の人数が勝敗の鍵を握っていた時代でした。

例えば、土佐の戦国大名・長曽我部 元親は「一領具足」という制度を大いに活用したことで有名です。

一領具足とは、領内の農民が命令があり次第、すぐに武具一式を揃えて、戦に参陣できるように、農作業をしている際、田畑の傍らに武具を用意していて、合図とともに兵士になるという制度でございます。

この制度のおかげで、元親は家来の兵士だけでなく、領民も兵士にすることができ、その当時の四国では考えられなかった兵数・4万人を動員することができたのです。

しかし、時代や地理的状況、風土が元親には味方しなかったのでしょう。

その頃の天下人は織田 信長でしたが、家来の明智 光秀に本能寺で討たれてしまい、代わって光秀を滅ぼした羽柴 秀吉に天下人の座が移った時期でした。

秀吉は宿敵の柴田 勝家を滅ぼし、中国の覇者・毛利 輝元や備前の雄・宇喜多 秀家などを傘下に収め、一時に8万から10万の大軍を動員することができたのです。

これではさすがの元親も屈服せざるを得ず、四国全土を手に入れかけていたにも関わらず、土佐一国の本領安堵という結果に終わったのです。

その後の秀吉は東海一の弓取りとして名高かった徳川 家康を小牧長久手の合戦では敗れたものの、巧みな外交政策で傘下に収め、官位も内大臣から関白に任官し、豊臣 秀吉と名を改め、九州、関東、東北とそれぞれ20万という軍勢で平定し、天下を統一したのでした。

このように数字というものは常に人間の歴史の中に存在しているのです。そして、レンタルのパソコンでは急なトラブルや予定により、複数台のパソコンが必要といった際に、購入するよりも安価に済みますので、お役に立てることと思います。

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