前半に引き続き、「鼠穴」という古典落語について記述していきます。
兄から、商いを始めるための元手を借りた竹次郎でしたが、やはり、遊蕩で散財し、一度味わった遊びの味を忘れられないようで、折角の元手をまた茶屋酒に使おうとします。
同村の人々から「ケチ」などと言われていた兄も、弟の俺にはこれこの通り、金を貸してくれた、と竹次郎は意気揚々と包みを開いて、金を確認します。
包みを開いた竹次郎は仰天します。
なんと、中身はたったの三文!
現在の貨幣価値だと、75円~90円(諸説あるため)です。
呆然とした竹次郎でしたが、徐々に怒りがこみ上げてきます。
「なんだ、あの兄貴は!これが金に困って助けを求めた弟にする仕打ちか!やっぱり村の奴らが言ってたようにケチな奴だったんだ!」
と、腹を立てていたのですが、よくよく考えてみれば、そこら辺を探したって三文が埋まっている訳ではないし、無一文の自分は贅沢を言えるような立場じゃないと落ち着きを取り戻します。
ここから、竹次郎の江戸での暮らしが始まります。
まず、三文を元手に米俵の両端に当てる丸い藁の蓋である「さんだらぼっち」正式には「桟俵(さんだわら)」を買い求めます。この藁をほどいて、「さし」を作っていきます。
「さし」というのは、銭緡(ぜにさし)といって、昔の商人の必需品となっていたものです。
一文銭には、真ん中に穴が空いています。その穴に、細い縄を通して、小銭の束を作って、「九十六文を一差しとして、百文とみなす」という文化が江戸時代にはありました。
ですから、商人たちは小銭に当たる一文銭を、予め束ねておいて、取引などを簡単にできるようにしていたようです。
現在でも、お年寄りの間では、五円玉の穴に紐を通して、束ねている人もいますが、これはその名残でしょう。
この「さし」は必需品で、なおかつ消耗品ですから、売れ行きも好調です。
もちろん、元手の三文はあっという間に、十二、二十四と増えていきます。
竹次郎はこの増えたお金で、俵を買って、「さし」を作る一方で、草鞋も作っていきます。
草鞋も当時の生活必需品ですから、売れ行きはさらに好調。さらに、それだけでは飽き足らずに、朝は納豆を売り、昼は甘い茹で小豆を売り、夕方は豆腐を売り、夜はうどんを売って、竹次郎は正に働き詰めの暮らしを送っていました。
やがて、二年半という時が過ぎて竹次郎は十両という財産を貯めることに成功しました。
いつの世もそうですが、そういった勤勉な働き者の周りには、自然と人が集まってきて、何くれとなく世話をしてくれるようで、今度はお嫁さんの世話をしてくれるという人まで出てきます。
「私には女房なんぞ、到底、養うことはできません。自分一人で精一杯なのに」
と竹次郎が二の足を踏んでいると、世話人が
「であるからこそ、女房が必要なんだ。お前さんは自分を半人前だというが、そこにもう一人誰かがいることで、一人前になれるんだよ。家のことはおかみさんに任せて、お前さんは外でうんと働けばいいじゃないか」
と助言してくれたため、竹次郎はお嫁さんを迎えることになりました。
やがて、奥さんとの間に、可愛い女の子が産まれた竹次郎は、それまで暮らしていた裏店(うらだな、裏通りや路地などにある粗末な家のこと)から表通りに引っ越して、さらに十年が経ちました。
相も変わらず、商いに精を出していた竹次郎、家では奥さんが愛娘の面倒を見つつ、家計を上手くやりくりしてくれているので、遂に深川・蛤町(現在の江東区・門前仲町の辺り)に間口・六間半(ろっけんはん)、蔵が三戸前(みとまえ)もある大店(おおだな、大きな店)を持つに至りました。
一間は約1m81cmですから、六間半は約13mという数字になります。間口とは土地・家屋の正面の幅ですから、それは結構な作りです。
戸前というのは、蔵の単位で、三戸前は蔵が三つという意味です。現在でも、名残があるように蔵を持つということは、お金持ちの証明のような意味合いがありますから、竹次郎は大金持ちになったという訳です。
十数年前は無一文だった竹次郎は、ここである決断をします。
その決断とは自分をここまで奮起させる元になった、あの兄から借りた三文を返すということでした。
それは取りも直さず、ケチだと恨んだ兄に再会するということになるのですが、この続きは、次回ということにさせて頂きます。
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