夢というのは五臓、つまり心臓・腎臓・肝臓・脾臓・肺の五つの臓器の調子が悪い時に見るという言い伝えがあるそうです。
この始まりで、ご存じの方は「あぁ、あれだ」とお気づきになるかもしれません。
これは、古典落語の「鼠穴(ねずみあな)」という噺の枕(まくら、前口上のようなもの)で披露されるものです。
物語は、田舎から竹次郎という人が、江戸で商人になっている兄を尋ねてくるところから始まります。
この竹次郎、少し訳ありの人物です。
元々、竹次郎の家は農業をしていました。家長である父が亡くなった後、本来であれば、家長を引き継ぐ兄が家のすべて(田地田畑)を相続するところを、兄が「田地田畑を売り払って、それを元手に江戸へ行って商売がしたい」と言い出したことから、話し合いの結果、兄弟で田畑を半分にして、兄はその半分を売り払って、江戸へ。弟の竹次郎は家を引き継ぎ、残りの半分で農業をすることになったのです。
ところが、竹次郎は博打と茶屋酒(料亭や遊郭で呑む酒)、つまりは遊蕩で折角の父と兄が残してくれた財産を使い果たしてしまい、資金源であるはずの田畑を手放すことになってしまったのです。
博打とは「その場で朽ちる」とはよく言ったものですが、失ってから気づくこともあります。無一文に近い状態の竹次郎は江戸へ行って商売を始め、上手くいっているらしい兄を頼ってはるばるやってきたのです。
そんな竹次郎には、心配事がありました。
それは同じ村の人々の兄に対する評判が殊の外、悪いことでした。
同じ村の中で、用事があり、江戸へ行った人がいましたが、現代のように自動車や電車、新幹線、もちろん飛行機もない時代ですから、移動手段は徒歩、泊まりに泊まりを重ねて、ようやく目的地に辿り着くような状態で、見知らぬ土地で、当時から大都会である江戸で心細くなるのは皆同じです。
そこで、頼りになるのが、竹次郎の兄です。
同郷のよしみで、竹次郎の兄の世話になろうと、村の人がお店(おたな)へ訪ねると、世話どころか、お茶の一杯も出し惜しみをするような吝嗇(りんしょく、ケチという意味)ぶりで、悪評が高かったのです。
竹次郎には、兄の心変わりが心配でしたが、無一文に近い状態ですから、藁をもつかむ思いでお店を訪ねます。
兄のお店は、よく繁盛しており、奥さんも子供もいて、番頭(ばんとう、お店の万事を取り仕切る人)から丁稚(でっち、お店に年季奉公をする少年)から、お女中(おじょちゅう、主に家事の手伝いをする女性)まで、現在でいうところの従業員も沢山いました。
久方ぶりの挨拶もそこそこに、竹次郎は早速、兄に自分の身の上を話し、「もう一度、やり直したいので、ついてはこちらのお店で働かせてほしい。弟と思わずに、奉公人と同じように扱ってほしい」ということを頼みます。しかし、兄は竹次郎を諭します。
「お前を雇ってやるのもいいが、お前がもし一生懸命に働いて、百両の金を稼いだとする。だが、お前の手元に入ってくるのは、良くって十両、相場は一両というところだ。それじゃ、お前、面白くあるまい?」
という兄からの問いに、「それもそうです」と竹次郎も相槌を打ちます。そこで兄は竹次郎にこんな助言をします。
「お前も店を構えたらいい、そうすれば、何もわしのところで働かなくてもいいし、気を遣わなくても済むんだ」
ところが、竹次郎は無一文です。商いを始めるにも、今も昔も元手、つまりは資本金が必要です。それをいうと、兄は「元手なら、わしが貸してやる」といって、紙に包まれた金を渡してくれます。
竹次郎は元手を受け取ると、兄に深く感謝をして、お店を去っていきますが・・・。
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